府社 今宮神社
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概 要
社 号 府社 今宮神社
別名「玉の輿(たまのこし)神社」
読み:いまみや
所在地 京都市北区紫野今宮町21
旧地名 山城国愛宕郡
御祭神
中御座:大己貴命(おおなむちのみこと)
東御座:事代主命(ことしろぬしのみこと)
西御座:奇稲田姫命(くしなだひめのみこと)
例祭日 4月 第二日曜日 鎮花祭
社格等
中世社格制度
近代社格制度 旧府社
創建 正暦5年(994年)
本殿様式
境内摂社(祭神)
摂社 疫神社 祭神:素戔嗚尊
末社
若宮社 祭神:天津彦火瓊瓊杵尊、高皇産霊尊
織姫神社 祭神:栲幡千千姫命
八社 大国社・蛭子社・八幡社・熱田社・住吉社・香取社・鏡作社・諏訪社
大将軍社 祭神:牛頭天王(ごずてんのう)と八大王子
日吉社 祭神:大山咋神(おおやまくいのかみ)大物主神(おおものぬしのかみ)
稲荷社 祭神:宇迦御魂命(うがのみたまのみこと)
織田稲荷社 祭神:織田信長公
地主稲荷社 祭神:倉稲魂大神(うがのみたまのおおかみ)・猿田彦大神(さるたひこのおおかみ)
月読社 祭神:月読命
宗像社(むなかたしゃ) 祭神:多紀理毘売命、市寸島比売命、多岐都比売命
文化財
重要文化財
・線刻四面石仏
重要無形民俗文化財(国指定)
・やすらい祭(夜須礼祭)(重要無形民俗文化財指定名称は「やすらい花」)
一口メモ
式内社ではないが、旧府社は大きな神社であるので見逃す訳にはいかない。といってもそうなると、建勲神社、吉田神社、平安神宮、熊野神社などもであるが、それら有名神社はよく紹介されているのでまず式内社に重点を置いている。
大宮通の大宮とは、今宮神社のことだろうかと調べると違うらしい。大宮通は京都市の主要な南北の通りの一つで、北は鹿ノ下公園(北区西賀茂榿ノ木町)南側を、南は久世橋通を起終点とする。途中竹屋町通と押小路通の間で二条城によってとぎれており、また江戸時代におかれた所司代屋敷の拡築で、丸太町通と竹屋町通間が狭くなっている。
「大宮」は皇居を示す語で、「大内裏の東側に接していたため」との見方が一般的である。平安京の大宮大路(東大宮大路)に当たる。ちなみに、大内裏の西側に接していた通りを「西大宮大路」といった。しかし、大徳寺通(旧大宮通)を経た北区紫竹下竹殿町にある、式内社「久我神社」周辺の地は、かつて大宮郷と呼ばれていた。ここは賀茂氏が京都盆地に最初に居を定めた場所とされ、上賀茂神社の旧地との説も残っている(上賀茂神社から賀茂川右岸側への渡しは、かつて「大宮の渡し」と呼ばれた)。
従って、「大宮」という名称は平安京以前から存在しており、大宮通、ひいては平安京の「大宮大路」命名の由来となったとしても不都合はない。むしろ、平安京建設時の基準線となった可能性さえも否定できない。(ウィキペディア)
歴史・由緒等
当社地には平安建都以前より疫神(えきしん)を祀る社(現在摂社疫神社)があったといわれる。建都ののち平安京が都市として栄える一方で、人々はうち続く疫病や災厄に悩まされ、これを鎮めるため神泉苑、御霊社、祗園社など各地で盛んに御霊会(ごりょうえ)が営まれた。今宮社の紫野御霊会もその一つである。すなわち、一条天皇の御代正暦五年(994)六月、当社地の疫神を二基の神輿に齋いこめて船岡山に安置し、神慮を慰め奉って悪疫退散を祈った。これが紫野御霊会であり今宮祭の起源である。そしてこの時、京中の老若男女は挙って神輿に供をし船岡山へ登り、綾傘に風流を施し囃子に合わせて唱い踊り、病魔のよれる人形を難波江に流したといわれる。これが夜須礼(やすらい祭)である。長保三年(1001)ご霊夢によって疫神は船岡山から再び現在の当社地に奉遷され、新たに設けられた神殿三宇ともども今宮社と名づけられた。これが今宮神社の起源である。創祀以来朝野の崇敬を集め、とりわけ徳川綱吉公生母桂昌院の崇敬は西陣への愛郷の念とともに厚く、元禄七年(1694)には荒廃していた社殿の造営など大いに務められ、祭礼も往時のような盛況を取り戻したと伝えられる。明治二十九年本社殿を焼失したが、同三十五年に再建し、その後も西陣をはじめ多くの人々の崇敬を集めている。
ー『神社公式サイト』ー
現在の今宮神社は、994年(正暦5年)船岡山で御霊会が行われた後、1001年(長保3年)5月に現在の場所に神殿が造営されて3柱の神が祀られたのが始まるとされるが、現在の場所には創建年代については不明であるが、古くから疫病の神とされるスサノオを祀る社(現在摂社疫神社)があったという。御霊会は今宮祭とも呼ばれ、平安時代末から鎌倉時代初期にかけて禁止された時期もあった。1284年(弘安7年)には正一位の神階が与えられ、江戸時代には社領として50石が与えられた。
京都西陣の八百屋に生まれた「お玉」が徳川3代将軍家光の側室となり、5代将軍綱吉の生母・桂昌院として従一位となったことから「玉の輿」と言うことわざが出来たとの説がある。桂昌院は京都の寺社の復興に力を注いだが、氏神である今宮神社の復興にも力を入れ社殿を修復して四基の鉾を寄進したと言われている。
(ウィキペディア)
境内・社叢
楼門 東門社号標
東門
神橋 東門から入る元禄の以降 拝殿
拝殿狛犬
摂社疫神社 向かって本殿左 本社
今宮の奇石 阿呆賢(あほかしさん)
この阿呆賢(あほかし)さんは古くから「神占石(かみうちいし)」とも云われ、病弱な者はこの石に心を込めて、病気平癒を祈り、軽く手で撫で身体の悪きところを摩れば、健康の回復を早める。
また、「重軽石(おもかるいし)」とも云はれ、まず軽く手の平で三度石を打ち、持ち上げるに、たいそう重くなり、再度願い事を込めて三度手の平で撫でて持ち上げる。
軽くなれば願いが成就すると言い伝えられております。(『神社公式サイト』)
他の参拝の方が石を持ち上げておられ、何のご利益があるのだろうと思っていた。
織姫社 八社
八幡社・日吉社・八社 稲荷社・織田稲荷社 境内小高い石垣の上
月読社 石畳の坂のつきあたり高台の上 地主稲荷社
東門 神馬舎
地名・地誌
地 図
交通アクセス・周辺情報
参 考
「京都十六社 朱印めぐり」 http://www.kyoto-16sha.jp/j_hokoku.html
「京都観光NAVI」http://kanko.city.kyoto.lg.jp/
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